「何処かの誰かに見られていると感じたときには、叫ばなければならない。その何処かの誰かに聞こえるように。気付いてるぞ!って。辺りを眺めてみたところで人影もカメラも見つけることはできない。その替わりに感じる何処かの誰か。アイツはいる。……な?いるんだろ?」
中学の頃に書いたらしい雑文をノートに見つけました。字、汚かったです。いまでもそうですが。まあ、でも、的は得てると感じました。つまり、いまでも僕は相変わらず何処かの誰かを意識しまくってるという。あの頃と違うことと言えば、きっと中学時代の僕は「何処かの誰か」を敵対者として、抑圧者として見ていたのだろうと思います。いまではすっかり、彼ら、被害者です。僕の何気ない行為が巡りめぐって何処かの誰かを害しているかも知れない、と。そして、理屈で言えば、この予感は的中しているに違いないとも。
何処かの誰かの何時かの何かが、何処かの誰かの何時かの何かに作用して、どうにかなって、僕の行為や僕に対する何らかの物事に収束する。そうしてその着地点もまた何処かの誰かの何時かの何かとして何処かの誰か目掛けて飛んでいく。飛んでいく。飛んでいく。
仁徳、的無く。
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